【新宿探訪記 vol.1】オフィスの下は“巨大な水たまり”だった!〜新宿に眠る、かつての記憶〜

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藤原直樹(ばび~)

センサーを磨き、ステージを上げる開祖

「今日の新宿もいつも通り、人が多いなあ…」

駅を出て甲州街道を抜け、都庁方面へ…ウィンキューブがある西新宿1丁目。
高層ビルが立ち並び、オフィス街の象徴のようなこのエリア。
でもこのあたり、実は60年前まで“巨大な浄水場”だったって知っていましたか?

編集部員藤原が寄せる「知ってた?」が「マジで!?」に変わる全5回の新宿探訪記、
第1回は、高層ビル群に隠された大都心新宿の秘密に迫ります!


かつて、この地に“淀橋浄水場”があった頃

現在、私たちWCHのオフィスがある西新宿1丁目〜2丁目周辺。
実はここには、かつて「淀橋浄水場(よどばしじょうすいじょう)」という、
東京市が運営していたとんでもなく巨大な浄水施設があったんです。

50年前の都庁跡地は大きな浄水場でした!

現在の様子↓

※出展 都庁総合HP 東京アルバム 淀橋浄水場跡(新宿区) 空撮

その広さ、なんと約56ヘクタール!

東京ドーム12個分。甲子園球場が5つも入るような広大な敷地に、
澄んだ水を湛えたろ過池がずらーっと並んでいたんです。想像できますか?
今の無機質なコンクリートジャングルに、まさかの水源が広がっていたなんて。

この淀橋浄水場、東京の近代水道の礎を築いた超重要インフラでして…

1898年(明治31年)に神田・日本橋地区への通水を開始したんですが、
これが「東京水道の日」として記念されているほど。

※出展 東京水道株式会社

1932年(昭和7年)に現在の形が完成してからは、当時最先端の技術で多摩川の水を浄化し、毎日17万㎥もの水を東京中に送り出していました。
戦中・戦後の東京の復興にも大きく貢献した、まさに”東京の生命線”だったんですね~

こんなに素晴らしい浄水場ですが、都市化の進行は止まりません……
戦後、高度経済成長期を経て東京の人口は爆発的に増加。
新宿駅に隣接するこの広大な土地は、都市開発にとって価値の高い土地となりました。

「この広い土地を、もっと効率的に使えないか?」そんな声が上がり始め、
1950年代から「新宿を新たな副都心にする!」という壮大な計画が本格始動。
淀橋浄水場は1965年3月31日に涙ながらにその75年の役目を終え、新たな東村山浄水場へとバトンタッチしたんですね;;

※出展 都庁総合HP 東京アルバム > 東村山浄水場(東村山市) 1989年1月

そして広大な跡地は、私たちが今働いているこの新宿副都心へと驚くべきスピードで生まれ変わっていったんです。

都庁をはじめ、新宿住友ビル、新宿三井ビル、新宿センタービル、京王プラザホテル……。
皆さんも見慣れたこれらのビルが、かつて「水の街」のあった場所に、次々と建てられたと考えると、なんだか不思議な気持ちになりませんか?


今も残る「浄水場」の足跡、見つけに行こう!

浄水場が姿を消しても、その痕跡は完全に消え去ったわけじゃありません。
昼休憩でオフィス街を歩くとき、ちょっとだけ目線を下に向けてみたり、意識を集中させてみると、意外な発見があるかも?
今回は特別に、その痕跡の探し方を教えちゃいます!

1.新宿中央公園は元ろ過池!

オフィスのすぐそばにある新宿中央公園。

実はここ、浄水場のろ過池跡地の一部になっていて、かなり当時の建造物なども残っているんです。

公園内の「ナイアガラの滝」も、当時の貯水池をイメージして造られたという話もありますし、1906年から1927年頃に建てられた洋風の東屋「六角堂」も残されています。

※出展 新宿中央公園

六角堂は淀橋浄水場が出来た頃に、施設見学に来た方のための展望台だったようです。
その六角堂が立つ小高い丘「富士見台」も、沈殿池を掘削した土を積み上げて造られた人工の築山で、これも浄水場時代の名残りなんです。六角堂へ続く飛び石には、古い浄水場のレンガが再利用されているという話も…!
2013年には新宿区の地域文化財にも指定された貴重な遺構なので、ぜひ探してみてくださいね!

都庁のふもとは日本でも珍しい二層構造なんです。これも浄水場の名残と考えると、出勤や散歩も楽しくなりますね~

さらに新宿エルタワーの近くには、「淀橋浄水場跡碑」がひっそりと佇んでいます。
かつて浄水場の正門があった場所に立っている石碑なので、時屋さんのどら焼きを食べながら「ここで綺麗な水が作られていたんだなあ…」って、想いを巡らせる週末もいいですね!

2.地下道も実は……?

西新宿の地下は、ビルとビルをつなぐ通路が迷路みたいに張り巡らされています。
実はこの通路「昔の浄水場の配管トンネルや施設の一部を再利用しているのでは!?」
という”都市伝説”があるんです。

公式に全てがそうだと断言されているわけではないですが、
もし本当だったら私たちが毎日歩いている場所が、昔は水を運ぶ大動脈だったなんて、
めちゃくちゃロマンを感じますよね!私だけでしょうか笑
地下深く潜ると堅牢な造りや、不自然なカーブに「おや?」と感じることもあるかも…?

他にもたくさん…

3.ビルに残る大きな証

新宿住友ビルの敷地内には、実際に淀橋浄水場で使われていた直径1mもある大きな「制水弁(蝶型弁)」がモニュメントとして保存されています。関東大震災後の1937年に導入されたもので、当時の浄水場の運用を支えた貴重な「証」です。
巨大なビルの足元にも、ちゃんと根ざしていたのを感じられるはず。

4.番地にも秘密が?

今も「西新宿1-24-1〜1-24-3」までが横並びに並んでいたり、明宝ビルの1-21-1のように、ちょっと区切りのいい番地が多いのも、実は広い浄水場の敷地を分割した名残だったり?

淀橋浄水場は約56ヘクタールという広大な敷地を、再開発の際にいくつかの大きな街区に分けて開発されました。
現在の番地にも、かつての巨大敷地が分割された名残が感じられるかも?

5.まっすぐな「水道道路」

オフィスから少し南西に目をやると、「水道道路(都道431号線)」と呼ばれる道がまっすぐに延びています。この道、実はかつて淀橋浄水場の南端を走っていた「水路」の跡地なんです。今は水を運ぶことはありませんが、綺麗に伸びるまっすぐな道筋は、かつて重要な水の導管だった名残。道幅も広めなので、ぜひ歩いて当時の水の流れを想像してみてください!


次回予告 〜Vol.2 西新宿に息づく、記憶の回廊〜

いかがでしたか?
毎日通う新宿オフィスまでの風景が、ちょっと違って見えてきたでしょうか?

次回の新宿探訪記は、私が実際に住んでいる西新宿エリアに迫ります。
オフィス街から一歩入った住宅街に息づくダークな伝説、今はなき路面電車の歴史など、もっとディープな新宿の秘密に迫りますので、お楽しみに!

この記事を読んでの感想や「ここにも浄水場の名残があるかも!」「新宿のココ、昔どうだったの?」のような質問、「知ってた?」「気になる」があったらぜひ教えてください!

あなたの好奇心が、ウィンキューブの「輪」をさらに広げる!

次回も乞うご期待。

アイコン この記事を書いたレポーター

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