
2025年6月27日
「働くこと」の確かな答えを一つ教えてくれる二本の映画
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テルマーは新宿より麻布

「働くって、なんなのでしょうね」
2024年の冬。昇進祝いに連れられた六本木の焼肉屋で
ユッケ丼をかっこみながら、ふと先輩に尋ねた。
高校の野球部時代から付き合いのあるその先輩は、
今や外資系企業の役員としてバリバリと働き、年収は2,000万円を超える。
「知らねえよ、自分で考えろ」とぶっきらぼうに言われ、
「そうだわね」とタメグチで返して頭を叩かれた。
その話題は一旦終わったものの、焼肉屋の後
西麻布のテルマー湯のサウナ(100℃)で
我慢大会をしていると、先輩がぽつりと言った。
「あの二本は面白かったな。
それぞれ働くの答えが描かれている気がして」

先輩が述べた映画タイトルはどちらも有名だったが、
ミステリやサスペンスを好む僕はまだ両方観ていなかった。
正直、サウナで思考停止状態の頭に、まさか人生の教訓になりえる情報が
飛び込んでくるとは思わず、僕は「ほう」とだけ返した。今度は叩かれなかった。
翌日、はしごで二本とも観た。
そして、もっと早く観ておけばよかったと後悔したのである。
仕事について「好きなことをやって生きていくこと」と答える人もいれば、
「生活のため」と割り切る人もいる。人生の大半を費やす
この「働く」という行為に、どんな意味があるのだろう。
そんな疑問に答える、スタイリッシュで、時にクスッと笑える毒があり
それでいて胸の奥がじんわりと温かくなるような、
どこか自分の物語のように感じさせてくれる二本の映画が、
『プラダを着た悪魔』と『マイ・インターン』だ。
大きなネタばれは控えつつ、それぞれのあらすじと見どころをお伝えしよう。
毒舌の裏に宿るプロの矜持『プラダを着た悪魔』

2006年公開の『プラダを着た悪魔』は、ジャーナリストを志す主人公アンディが
一流ファッション誌『ランウェイ』のカリスマ編集長ミランダのもとで、
ボコボコにされながらもアシスタントとして懸命に働く姿を描いた名作だ。
物語の冒頭、アンディは「おしゃれなんて興味ない」とばかりに、
その辺で適当に買ってきたような服を着て面接に現れる。僕だってそうしたい。
ミランダの「あなたは何もわかってないわね」という冷徹な視線は
僕らが初めて社会の荒波に揉まれた時の、
あの「世の中、甘くねぇぞ」という洗礼を彷彿とさせる。
しかし、理不尽とも思えるミランダの高圧的な要求に応える中で、
アンディは驚くほど変化していく。
外見は瞬く間に洗練され、内面も、そして生活までもが、
まるで魔法にかかったかのように変わっていくのだ。

特に印象的なのは、アンディの様々なオシャレ着がワンカットで流れるシーンだ。
高校時代を坊主頭とジャージで過ごし、
ファッションは「ミズノで十分」と信じて疑わなかった僕でさえ、
「おいおい、オシャレってこんなにええもんやったんか…」
と、思わずファッション雑誌を手に取りそうになったほどだ。
(結局、取らなかった)
この映画が心に深く刺さるのは、「仕事って何?」という問いに、
真っ向から向き合っているところである。
ファッションという、一見すれば夢とキラキラに満ちた世界の裏側には、
常に完璧を求められ続ける計り知れないプレッシャーが横たわっている。
ミランダの鬼のような態度の奥底には、自分自身にも他人にも一切妥協しない
プロフェッショナルとしての揺るぎない覚悟と、
業界のトップを走り続ける者だけが味わうであろう寂しさが見え隠れする。
彼女の「毒舌」をパワハラと一蹴することもできるだろう。
だが、見方を変えれば、それは自身の理想を追求し、
最高のものを生み出すための徹底したプロ意識の表れであり、
妥協を許さない美学とも言えるのだ。
一方、アンディも次第に仕事にのめり込み、
その過程で恋人や友人との関係が少しずつ、しかし確実に崩れていく。
「どこまでが仕事で、どこまでが自分なのか?」
「仕事のために犠牲にしていいものと、そうでないものは何か?」
といった問いが、観る者自身の心へと鋭く突きつけられる。

仕事に没頭するあまり、大切なものを見失いそうになるアンディの葛藤は、
多かれ少なかれ誰もが経験する『仕事とプライベートのバランス』という、
人類石器時代からの悩みを体現している。
そして、アンディがその厳しさに揉まれながらも、
単なるファッション雑誌のアシスタントではなく、
一人の自立した人間として成長していく姿は
仕事を通じて得られる『自己の確立』の素晴らしさを教えてくれる。
時には理不尽に思える出来事や、自分の未熟さに打ちのめされることもある。
しかし、それらを乗り越えた先に、一回りも二回りも大きくなった自分がいる。
そう、この映画は「仕事は修行だ!」と、まるで禅僧のような顔で僕らに語りかけてくるのだ。
人生に寄り添う温かさ『マイ・インターン』

2015年に公開された『マイ・インターン』は、
『プラダを着た悪魔』とは異なる視点で『働く』を描いた、心温まる傑作だ。
主人公は、急成長中のファッション通販サイトを立ち上げた若きCEO、ジュールズ。
彼女はまさに『イマドキの成功者』だ。華々しいキャリアの裏で、
常に時間に追われ、家庭との両立に悩み、そして経営者としての孤独を抱えている。
まるで、高速で走り続けるジェットコースターに乗っているような忙しさだ。
そんな彼女の元に、70歳のシニア・インターン、ベンがやってくる。
70歳にして新しい会社で働くというその行動力と好奇心には、脱帽するしかない。
僕の親父なんて、70歳を超えた今は阪神タイガースの4番とエースの成績しか興味がない。
最初は周囲から浮いていたベンだが、彼の紳士的で誠実な姿勢、
そして長年の仕事経験に裏打ちされた的確なアドバイスは、徐々に皆の信頼を得ていく。
「ああ、こんな大人になりたい…」の思いを集める存在だ。

この映画には、ジュールズが抱える「働く女性としての孤独」と、
ベンが直面する「経験が軽視されがちな社会」という二つのテーマが含まれている。
仲間たちはジュールズの忙しさを案じ、経営を他者に任せる話を進めて行く。
しかし「会社を立ち上げたからには、手放したくない」とジュールズは返す。
その言葉には、起業者としての強い矜持と、その重責ゆえの不安と葛藤が滲む。
完璧主義者でみんなのリーダーであるがゆえに
周囲に弱みを見せられず、その孤独感に押しつぶされそうになる。
中学のころに野球部のキャプテンだった僕は「わかるよジュールズ…」と思ったが、
二秒後に「いや、比べ物にならんやろ」と自ら突っ込んだ。
そんなジュールズにとって、経験豊富なベンは単に仕事ができる
優秀なインターンというだけでなく、彼女の心の支えとなっていく。
ベンの存在は、ジュールズが抱える孤独を癒し、
経営者としての責任と感情のバランスを取る役割を持つ。
『マイ・インターン』は「働くとは何か?」という問いに、
キャリアの始まりと終わり、つまり若手とベテラン、
両方の立場から答えを与えてくれる。
年齢や立場、性別を超えて、お互いを尊重し、
互いの経験から学び合う職場の姿は、やっぱり素敵だ。
仕事を通じて人と人が深く繋がり、支え合う大切さ。
仕事が単なる義務ではなく、温かい人間関係や、やばい時でもなんとかなるさ
という経験と自信を育む場でもあることを、この映画は教えてくれる。
働くことに疲れたら、映画に聞いてみよう
『プラダを着た悪魔』と『マイ・インターン』。
一見対照的なこの二作。
実はどちらも「働くこと」の本質をユーモアと温かさ、
そして時に厳しい現実をもって教えてくれる映画だ。
仕事と自己、そして人生のバランスという誰もが抱えうるもの、
答えを出したいと願うテーマを描いている。

「努力が報われない」
「周囲とうまくやれない」
「仕事って、なんのためにあるの?」
そんなとき、ふとこの2本を観返すと、
働くことがほんのりとでも好きになるかもしれない。
映画の中の登場人物たちがそれぞれの壁にぶつかり、悩み、
そして成長していく姿は、自身の仕事人生と重なり、
共感と勇気を与えてくれるだろう。少なくとも、僕はそうだった。
仕事は人生のすべてではないけれど、人生の大事なピースであることは間違いない。
決して答えは一つではないけれど、映画から確かな答えを一つ得ることはできる。
物語の中の彼ら彼女らのように、時に真剣に、時に遊び、時に笑い、
時に泣き、時にボコボコに怒られながら『働く意味』を見つけていく旅は
きっと辛くも楽しく、充実して豊かなものになるはずだ。
そして最後に、声を大にして皆さんへ伝えたいことがある。
とっても大切なことだ。それは…。

「アン・ハサウェイばりKawaii!!」